たつのまったりブログ

しがない30代♂の日常や趣味などをまったりと

肺に穴が開いた時のお話

どうも、5回目のたつです( 'ω' )

 

今から約10年前、父と同じ職場で働いていたのですが(今もだけど)、その日はいつもと違う仕事をしていて、私は脚立を使って一人で作業をしていました。そして、両手を上げた状態の時に、そう…まさに事件は現場で起こったのです!←大した事件ではない。

 

初めは、背中に少し痛みがある程度で、背中がつったかな?くらいにしか思ってなかったのだが、徐々に痛みが増してきたので、私は脚立から降りました。丁度その頃、休憩時間になったので、職場の人と一服していると、背中の激痛に加え呼吸まで苦しくなってきたのです。

私は我慢できず、なぜかトイレに駆け込み、用もないのに(シャレか)、大のほうに入りしばらくうずくまっていたのですが、治る気配もないので、父にこう告げたのです。

 

私「背中痛いし、息が苦しい…病院に連れて行ってくれ」

 

父「は?とりあえず湿布でも貼っとけ」

 

私「いやいや…早く連れて行ってくれ。マジでヤバい」

 

父「もうすぐ昼休みじゃ。湿布貼って、その辺で横になっとけ」

 

私「……(このおっさんマジか…)」

 

アイラブ仕事!仕事命!の親父なので、私はそれ以上言うことを諦めた。

こうして鬼のような父によって、私は背中の痛みと息苦しさに耐え、仕方なく椅子に座り机に寝そべって、昼が来るのをひたすら待ったのである。

 

ようやく昼休みになり、父に病院まで連れて行ってもらったのだが、私は冗談で「最後の一服じゃ」と、タバコを吸ったのである。だって、そんなことになってるとは思ってもみなかったんだもん♪←可愛くねーぞ。

 

そして、病院に到着。

看護師さんに症状を伝え、とりあえずレントゲンを撮ることになった。湿布は速攻で剥がされる。(ちなみに仕事人間の父は私を病院に送ってすぐに職場に戻っております。少しは息子を心配せんかい)

どうやらレントゲンの結果が出たようで、先生が登場。こう告げられるのである…「肺気胸ですね。すぐに手術が必要です」

…は?肺気胸ってなんぞ?へ?手術?私の頭はパニックになったが、当時20代半ばのそこそこ大人だったので、クールに言ってやったさ。「そうですか。わかりました」

 

気胸とは、肺にブラと呼ばれる袋状の(気泡)ようなものが出来ていて、そこから穴が開いて空気が漏れ、それによって痛みや呼吸困難などを引き起こす病気。

そこの先生いわく、肺気胸のはっきりとした原因は解明されていないが、なりやすい人の特徴として、10代から30代くらいの若い男性。身長は高め。痩せ型に多いそうである。(まさに、私でした)それと、一説によると、成長期の急激な成長によって、肺などの成長が追いつかなくなり、バランスを崩して病気を引き起こすとも言われている。

 

あとから知ったのだが、稀に両肺に穴が開く事例もあるらしく、そうなると完全に呼吸できなくなるので、早急に処置しなければ死に至る恐ろしい病気だ。それを知った時にはゾッとした…

自然気胸と呼ばれる袋状もあり、手術の必要がありなく、穴が開いても自然と塞がる軽いものもあるらしい。

 

そして、オペ室。

レントゲン検査から、あれよあれよという間に入れられたので内心ビビっていたが、やるしかないし、私も男なので腹を括った。

ここでの手術は、完全な治療ということではなく、肋骨の間にメスを入れ、そこにチューブ(ホース)を突っ込むことだった。エアコンのドレンホースをイメージしていただければ、わかりやすいだろう。←わかりません。

 

先ずは、肋骨の間に局所麻酔を打ち(そんなに痛くなかった気がする。気がするだけ)メスを入れる。そして、ホースを突っ込み終了。

麻酔が効いていたので感覚もなく、何も感じずに無事に終わった。だが、後に地獄を味わうことになる…(意味深)

 

そして、即入院。

父に告げるため、電話をかける。

私「もしもし。入院することになった」

 

父「ガハハ!冗談は顔だけにしろ!」

 

私「いやいや、マジよ」

 

父「ガハハ!冗談は顔だけにしろ!」

 

私「……(このおっさんマジか)」

 

やり取りを見ていた察しのいい看護師さんが私に変わって父と話してれた。(天使や)

 

看護師さん「息子さんが入院することになって、手続きもあるので病院に来ていただけますか?」

 

父「ガハハ!冗談かと思ったわー!」

 

私「……(穴があったら入りたい)」

 

そして、長い入院生活。

両親が病院に到着し、先生や看護師さんから色々と説明を受け、入院手続きに記入。食べ物で嫌いなものやアレルギーを記入する欄があって、好き嫌いは多いが面倒なので特になしと記入した。まさか病院であんな食べ物が出るとは知らずに…(意味深その2)

12月の寒い時期で私は謎の器械とホースに繋がれていて、ベッドから一歩も動けない状態になっていた。着替えや生活用品を持ってくるように母に頼み、時間も遅かったし、疲れていたので、その日は早めに寝ることにした。と言っても、病院の就寝時間が21時だったので、強制的に早くなるけど。

 

地獄の初日。

環境が変わると寝つきが悪くなかなか寝れない…ようやく眠りについたと思ったその時。

「痛っ!!!」

右の肋骨の辺りに激痛が走り目が覚める。肋間神経の間にホースが入っているので、寝返りなんてもってのほかで、神経に少し触れただけでも激痛なのである。結局その日は、ほぼ一睡もできずに朝を迎えることになる。

一週間ほど経った頃には、痛みに慣れたのかわからないが、普通に寝れるようになり、ホースに違和感も感じなくなっていた。

 

毎日点滴。

毎朝6時に起床。朝と昼に1日2回点滴。実に苦痛である。点滴の針は痛いことはないが、下手な看護師さんだと刺す時も刺したあとも痛いので耐え難い。

何日目かの朝に叩き起されて採血したのだが、その時の看護師さんが最悪だった。

毎日2回も点滴をしていると注射に抵抗はなかったし、右腕でも左腕でもお好きなほうでどうぞーという感じだったが、その看護師さんは見た目ベテランなのに、「あれ?あれ?」と言いながら、右も左も失敗し、挙句の果てに逃走し、別の看護師さんに押し付けたのである!しかも、下手だから痛い!その後、来てくれた看護師さんによって大した痛みもなく、無事に採血は終わった。(あの看護師さんは一体なんだったんだ…)

 

一応、言っておきますが、看護師という職業は本当に尊敬しております。看護師さんの大変さが入院して身に染みました。ただ、その時はちょっとだけ殺意が湧いただけです。(冗談です)

 

禁煙生活。

個室は費用がかかるので、大部屋だったが特に問題はなかったし、最初は恐怖だった夜な夜な聞こえる老人の謎の奇声も慣れれば問題はなかった。だがしかし、喫煙者の方ならわかってくれると思うが、タバコを吸えないことは実に辛かった。冗談で言った「最後の一服じゃ」が、まさか現実になるなんて。

あの時、ベッドから動ける状態だったら確実に屋上とか外に出て、喫煙してたに違いない。←やめとけ。

だけど、退院する頃には別に吸いたいとも思わなくなっていた。タバコをやめれたことは、唯一病気になって良かったことかもしれない。

 

病院の食事。

よく病院のご飯は美味しくないとか聞いていたけど、不味くはないが確かに美味しいものでもない。そして、入院時に嫌いなものを書かなかったせいでアイツはやってきた…

牡蠣フライだ!!

まさか、病院で牡蠣フライなんて出ると思います?ねえ?←誰に聞いてんの。

その日はたまたま母が焼きそばを買ってきてくれたので、ひもじい思いをせずに済んだ。

ありがとう!オカン!

 

病院の天使。

何故だろうか。ナース服というフィルターがかかっているから美しく見えるのか、それとも普段から美しいのか。若い看護師さんが唯一の癒しだった。あ、若くなくても癒しでした。←遅い。もちろん、大人のビデオで観るような展開などあるわけもなく、まだ若かった私は悶々とする日々を送っていた。青春です。←どこが?

 

 

そして、手術。

入院から既に2週間近く経っている。謎の器械とホースに繋がれたことにも慣れ、自分で器械を持ち歩きながら一人でトイレにも行けるようになっていた。

手術の日も決まり、両親と共に先生から説明を受ける。一通り説明が終わり最後に先生から私にこう言ってきた。「なにか質問ある?」特になかったし素直に私は「大丈夫です」と答えた。するとなぜか先生が鬼の顔になり激昴。「自分のことなんだから何かあるだろ!」うわぁ…めんどくさ…と、内心思ったが私は絞り出す「えーっと…退院したあとに通院の必要はありますか?」先生の顔が緩む。「それはね……」そして、最後に「タバコはもうやめないとダメだよ。再発の可能性も有るからね。まぁ、私も喫煙者だけど。ふはは♪」…私がもう少し若かったら、確実に葬っていただろう。←だからやめなさい。

面倒なやり取りは終わり、あとは手術の日を待つだけだ。

手術当日、女医の先生がオペ室に入るまでのお世話をしてくれた。とても優しい。あのクソジジイとは大違いだ。(あ、失敬)

筋肉注射を打つために、なぜかは忘れたけど脇毛を剃られた。筋肉注射は肩に注射を打つのだけど、それまで散々注射はしてたし、肩なんて痛くないだろと思っていたらこれが間違い。今まで生きてきた中で一番と言っても大袈裟ではないくらいの激痛!ビックリし過ぎてもう少しで叫ぶところだった。

遂に、オペ開始。

全身麻酔にどれくらい耐えられるか頑張ってみたけど、10秒も数えられなかったかもしれない。麻酔って医学的になんで効くのかはっきりわかってないらしいから怖いよね。(余談)

 

目が覚めた時には大部屋から個室に移されていて、父がソファで寝ていた。しかしどうにも暑い…。手術前に聞いてはいたが、手術の影響で術後は熱が出るらしい。私が目が覚めたことに気がついてくれた看護師さんが駆け寄る。「体温を計ってみましょう」結果は、38度以上の高熱。座薬を入れて貰う。しかしなかなか下がらない。数時間後に看護師さんが様子を見に来る。「熱下がらないね。また座薬入れる?」とにかく、この苦しみから解放されたい私は恥ずかしい気持ちよりも楽になりたい気持ちが上回っていたので、座薬を入れてもらうようにお願いする。すると看護師さんから衝撃の一言。「そんなに座薬入れたって効かないし我慢しなさい」…はい?いやいや、座薬入れるか聞いてきたのはそちらですよね?それとも私の幻聴ですか?もう少しで人間不信になりそうだったぜ。

初日同様にその日は高熱にうなされ寝れなかった。

 

病院は暇。

なんだかんだあったが、術後も順調で落ち着いてきたので、費用のことも考え大部屋に戻る。お風呂は入れないので体を拭くだけ、髪の毛も入院してから一度も洗ってなかった。体も気持ちが悪いが、髪の毛を洗えないのは本当に気持ちが悪い。痒いし、脂ぎるし、最悪だ。私の心の声が聞こえたのか、看護師さんが二人がかりで髪の毛を洗ってくれることになった。しかも二人とも可愛い。やったぜ!←アホです。

看護師さんが美容師さながらに聞いてくる。「痒いところはありますか?」こう返してやった。「全部痒いですw」看護師さんは笑っていた。ふふ…勝ったな。←なにが?

 

それにしても病院は暇である。暇すぎて抜け毛を集めて数えたりしていた。(末期やな)退屈すぎて一刻も早く退院したかったが、私より後に入院してきた患者がどんどん退院していく。遂には病院でクリスマスを迎えることになった。その日の食事に小さなケーキがあった。逆に虚しくなった。

ふと考える…あれ、もしかしてこのまま病院で新年を迎えるなんてこと…絶対に嫌だ!

私は頑張った。頑張って謎の器械その2を使い、肺を膨らませ元の肺の大きさに近ずけるべく一日に何度も吐いたり吸ったりを繰り返した。

 

そして、退院。

12月29日。約1ヶ月の入院生活が終わった。病院で年を明けるのだけは嫌だったから、ホッとした。日常での1ヶ月とは比べものにならないくらい長く感じた。あとは抜糸でもう一度来るだけ。あのクソジジイの顔を見るのはごめんだったけど。

あんな辛い思いは二度としたくない…

 

ちなみに私はその後、喘息になり、痛風まで発症してしまいました。なかなかハイスペックな30代半ばであります。

 

 

そして、私は今日も美味しくタバコを吸っている。←人間ヤメロ。

 

皆さんも、病気にはお気を付けて。